HOME
←前へ 1 2 3 次へ→
全国盆踊り
盆踊りのふるさと藤沢TOP
藤沢宿探訪
江戸時代、東海道五十三次の宿場街だった藤沢。現代の街に、街道と宿場の面影を追います。
旧藤沢宿周辺地図(ポイントをクリックすると説明文にとびます)


赤線:旧東海道
青線:旧江ノ島道  家マーク:蔵造の建物

旅のはじめに
・東海道は江戸〜京。宿場は公的輸送基地の役割と旅の宿を兼ね、多くの人が行き交いました。
・藤沢宿は、遊行寺や江ノ島詣の観光の宿でもありました。当事は1日40km徒歩で歩くのが普通。江戸から、3泊4日のイメージです。
・江戸の人は、浮世絵をみて、藤沢宿や江ノ島を想像して出かけたことでしょう。
・今やすっかり都市化している藤沢には、直感的に歴史の空気を体感できる鎌倉や町並が色濃く残る川越のような雰囲気は残念ながらありません。それでも、街を丁寧にみると端々に歴史の面影をみることができる、そんな宝探しのような楽しみを与えてくれる街です。江戸時代の人の視点を絡め、歴史の部品をくみあわせ、はるか江戸をイメージしたいと思います。 

宿場探訪
・宿場は「見附」が入り口です。江戸に近いほうが「江戸方見附」京都側が「上方見附」。見附には、見張番がおかれていました。
・それでは、見所別に宿場を案内します。
中心地遊行寺
・藤沢は遊行寺の門前町として発展しました。中世以来の中心地はやはりここ遊行寺。時宗総本山です。1325年、呑海上人により建てられました。その後、時宗の発展とともに成長。黒門を通ると、境内に続くいろは坂があります。階段が48段。境内には、大銀杏や庭園など多くの見所があります。
遊行寺紹介ページ参照

浮世絵スポット
・藤沢宿、大鋸橋(現 遊行寺橋)近辺〜遊行寺が多く浮世絵に描かれています。見比べてみると楽しみが増します。(大鋸橋と共に描かれている江ノ島道の鳥居は現在ありません。 )
・こちらに、藤沢・江ノ島の浮世絵が沢山紹介されています。
 みゆネット藤沢

遊行寺橋  藤沢宿付近の絵で、中心的に描かれている橋です。現在は新しくかけかえられております。かつては大鋸橋といわれていました。
江ノ島道側からみる遊行寺の屋根と山 広重の絵と、ほぼ同じ角度からみた遊行寺。(現、藤沢橋南側付近)

義経伝説
・奥州で討ち取られた義経の首は鎌倉に送られ、そのあと片瀬の海に捨てられたが、潮に乗り、境川をさかのぼっていたのを、井戸で洗い、白旗神社に葬られたとされています。義経主従の遺構が旧宿場付近にあり、江戸時代の観光名所でもあったとも考えられます。

境川(藤沢宿付近) 義経の首が遡ってきたとされる川。
義経首洗い井戸 義経の首を洗ったという井戸。
白旗神社 義経の首を慰霊した神社。神社内には義経藤、弁慶藤、弁慶松、弁慶石など義経主従にまつわるものが多くある。
弁慶塚 弁慶を弔った塚。庚申塚に囲まれている。

小栗判官・照手姫伝説
・現代人には、あまりなじみないかもしれませんが、小栗判官と照手姫の伝説は浄瑠璃や歌舞伎など、江戸期には大変有名でした。小栗伝説の跡も、江戸の観光名所といえます。
遊行寺の紹介ページ内長生院(小栗堂)、小栗判官照手姫墓参照。

歴史的著名人の後姿
・藤沢宿には、江戸初期「御殿」という将軍専用の宿がありました。徳川家康、秀忠、家光三代が泊まっています。特に、家康が関が原へ向かうとき、秀忠が大阪夏の陣に向かうときなど、歴史上の大イベントの際の行程にも入っています。
・宿の本陣は、大名や旗本などの宿。参勤交代の大名が数多く泊まりました。
・遊行寺はかつて天皇の宿泊地に指定されていて、明治天皇が維新の際宿泊されています。

御殿跡 家康、秀忠、家光が宿泊した御殿の跡。現在は、藤沢公民館がたっており、その角に説明文が掲示されています。
本陣跡  江戸時代に多くの大名などの要人を泊めた本陣跡。現在は案内用の碑が立っています
明治天皇行在所碑(遊行寺内) 明治天皇は3度遊行寺にお泊りになっており、菖蒲園近く碑があります。また、御膳水の井戸も残されています。
遊行寺紹介ページ参照
庚申堂 小泉八雲が「日本瞥見記」の「江ノ島行脚」の項jでこの庚申堂を紹介している。明治期の藤沢の様子がうかがえる紀行文である。

宿場の面影
・藤沢宿跡には、蔵造りの建物(店蔵)や土蔵が点在しています。建築年代は明治期が中心ですが、宿場の面影を最もイメージさせてくれるものです。宿場歩きをしながら、蔵探し。カメラ片手に歩きまわるのも楽しいものです。
・また、江ノ島道を示す道標や、宿場の遊女であった飯盛女の墓など、江戸以来変わらぬスポットも残っています。

蔵造りの建物 画面は桔梗屋の店蔵ですが、他にも10件以上の土蔵や蔵造り建物があります。是非、探してみてください。歴史を一番肌で感じられます。
飯盛女の墓 宿場の遊女、飯盛女は、旅籠で働いていました。若死も多かったそうです。店がその名も無き女性達を弔ったお墓です。
旧江ノ島道標 江ノ島道は、宿場から江ノ島を結んだ道でした。その道を示した道標です。

※藤沢宿の予備知識
宿場の役割:「宿駅」と「伝馬」
江戸時代の「宿駅」には、公用輸送(荷物・書状輸送)の中継地という役割がありました。
・途中交代しながら、目的地まで公的輸送する制度が伝馬制。「伝馬」はそのための馬です。
・宿場は、伝馬の用意が義務づけられ、その負担のかわりに、年貢の免除がありました。藤沢宿では1640年には100疋常設となり、同時に人足も50人(後に100人)必要とされました。
・伝馬の利用が拡大すると、宿で伝馬を確保することが困難になり、近隣の村で、人馬を提供するところを指定する、「助郷制(すけごうせい)」が行われるようになりました。
参勤交代
・地方に住む大名を定期的に江戸での任務につかせる制度で、大名は自分の領に1年、江戸に1年交互に住むことになりました。また、妻子は、必ず江戸に常住となりました。
・江戸を行き来するたびに、大勢の家来をつれる「大名行列」をし、街道を通りました。
・大名行列は、徐々に壮麗なものになり、宿場は、この大名行列によっても繁栄しました。
・行列の人数は、大名の石高により、100名〜1000名以上のものまでありました。
・東海道は、西日本、東海からの大名の通行があり、非常ににぎわいました。
庶民と宿場
・宿場には、もちろん庶民・一般の旅人も沢山訪れました。安宿、馬の荷運びで稼ぐ者等、大衆向けの商売も発達しました。
・周辺村落の物品商いの役割もあり、市が開かれる経済の地でもありました。藤沢宿では月6回市が催されたそうです。

・庶民が旅をするには、往来手形が必ず必要でした。今でいうパスポート。名主や寺社が発行しました。単なる観光旅行は許されていなかったので、名目上、有名寺社への参詣を目的に発行してもらっていたようです
宿の種類
本陣:
大名・旗本などが宿泊できるところ
脇本陣:
本陣に宿泊できなかった大名の家臣などが使ったところ。通常は、旅籠として利用。また、本陣に宿泊できる格の者が重複した場合、格下の者が使う。
旅籠:
武士や庶民が泊まった。朝飯・夕飯付。
・飯盛旅籠
飯盛女がいる旅籠。飯盛女とは、表向き給仕役の女性、実態は宿付の女郎。飯盛女のいない旅籠を平旅籠という。
木賃宿
武士や庶民が泊まった。食べ物は自炊。宿場街の外れや、町裏にあった。
茶屋
休憩所。泊まることはできない。

藤沢宿の規模
本陣: 1
脇本陣: 1
旅籠: 49(1800年頃)

宿場町:宿を中心とした町 藤沢の場合、東西・南北それぞれ約250m位
戸数 約900軒 人口約4000人(1840年頃)
←前へ 1 2 3 次へ→
ガイド
紀行
盆踊りを楽しむ
雰囲気
文化
踊り
ファッション
音楽
盆踊り情報
データベース
用語辞典
リンク集
資料集
ギャラリー
盆踊りの知識
枠組み
歴史
音楽文化
お盆入門
このページはリンクフリーです。Copyright (c)2002 bonodori.net