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遊行寺について
鎌倉時代に創建された遊行寺は、正式名を清浄光寺といい、後に日本の芸能に大きな影響を与えた踊り念仏で有名な時宗の総本山です。藤沢は遊行寺の門前町として発展しました。現在の遊行寺の見所を紹介します。
遊行寺境内図
(場所をクリックすると説明文にとびます)



遊行寺の沿革
・遊行寺は正式には「藤沢山無量光院清浄光寺」。時宗の上人が、遊行上人と呼ばれることから、遊行寺と呼ばれるようになったそうです。
・遊行とは諸国を修行・勧進のためにめぐり歩くこと。
・時宗といえば一遍上人の名がうかびますが、遊行寺は四代上人呑海の創建です。それでも、一遍は藤沢にゆかりがあり、鎌倉に入れてもらえなかった際、片瀬の地蔵堂で踊り念仏を行っています。
・歴代の上人は、全国を遊行し、遊行上人と呼ばれましたが、引退すると藤沢に住み、藤沢上人と呼ばれました。
・創建以降、兵火にあうことが多く、その中でも北条早雲と三浦義同の戦いでは全焼し、その後、100年近く廃寺同様だった時代がありました。
・天正十九年(1591年)徳川家康から寺領百石を寄進され、後、時宗の総本山となりました。
・戦火、藤沢宿の火災、関東大震災などに見舞われ、幾度も焼失、倒壊の憂き目にあっており古い建築物はほぼ消滅してしまっています。それでも、見所は沢山あります。
・国宝一遍聖絵や重文 後醍醐天皇像などの寺宝も、宝物館でかわるがわる公開されています。
・まずは建物や遊行上人ゆかりの場所を紹介します。

黒門 遊行寺の総門で、一般には黒門として親しまれている。
いろは坂 黒門から先、山門跡にむけていろは坂がある。石段が48段あるからこの名がある。登るときに数えてみたらどうでしょう。
大いちょう 大いちょうは、樹齢200〜700年と言われ、樹齢推定に巾がありますが、いずれにしても立派な大木です。
本堂 木造としては、東海道随一といわれている。現在のものは、関東大震災倒壊後、昭和12年に落成したもの。
一遍上人像 時宗の宗祖、踊り念仏をはじめた一遍上人の像です。昭和45年建立。なお、遊行寺は一遍上人ではなく、四代呑海上人の創建。
延文の鐘 延文元年(1356年)に造られたもの。戦国時代、遊行寺が廃寺同然であったころ、小田原城に持ち去られていたが、江戸時代に入り、再建された遊行寺に戻ってきた
中雀門 安政六年(1859年)に建築され、遊行寺境内では一番古いものである。
歴代上人廟所 廟所には歴代の遊行上人、藤沢上人の墓塔が並んでいるという。

小栗判官伝説
・現代人には、あまりなじみないかもしれませんが、小栗判官と照手姫の伝説は浄瑠璃や歌舞伎など、江戸期には大変有名でした。小栗伝説の跡も、江戸の観光名所といえます。伝説は様々なパターンがありますが、大体以下の内容。
「小栗判官は、妻の照手姫の親、横山氏に毒殺される。その後、地獄より原型を留めない姿で地上に戻り、遊行上人のはからいで車にのせられた小栗は、道中、照手姫と共に相手とは知らずに再会。照手に車をひかれ、熊野湯の峰についた小栗は湯の力で復活。再び夫婦になった後、小栗が亡くなると、照手は小栗を弔うために仏門に入り長生院(小栗堂)をたてた。


長生院(小栗堂) 遊行寺境内の一角にあり、照手姫が、小栗を弔い過ごしたといわれる。遊行寺は、小栗復活の際、遊行上人が力を貸したという点でも、小栗とゆかりがある。
小栗判官の墓 長生院の裏手に、照手姫の墓、小栗判官の墓、小栗判官眼洗いの池などがある。


板割浅太郎について
・こちらも、戦後生まれにはなじみが薄いですが、板割浅太郎といえば、講談や浪曲、新国劇などで有名だった任侠の国定忠治の子分。賭場に手入れをうけた国定忠治に、叔父勘助共に密告、裏切りをしたと疑われた浅太郎は、身の潔白をはらすため叔父である勘助を討つように命ぜられる。浅太郎は、叔父勘助とその幼い子勘太郎を討ちます。講談などでは、勘太郎をうたず、それを背負って赤城の山を越えた・・というストーリーもみられ、戦前の歌手東海林太郎の代表曲、「赤城の子守唄」は、浅太郎が勘太郎をあやす場面を詞としています。

板割浅太郎の墓 遊行寺の黒門をくぐってすぐ左に、遊行寺の塔頭真徳寺の墓地があり、そこに浅太郎の墓があります。言い伝えでは、赤城で勘助、勘太郎親子を殺めた板割浅太郎は、佐久の金台寺から、遊行上人の手引きにより、この地にうつり、親子の菩提を弔ったとあります。

庭と池
・遊行寺の庭園には放生池があり、また、春は桜、初夏は菖蒲などが寺に彩りを添えます。

放生池
生類憐れみの令の後、将軍綱吉がこの池に金魚等を放てと命じたという。今は、絶滅寸前であった藤沢メダカが放たれています。
菖蒲園 小書院へいく渡り廊下の側にある。菖蒲は、明治神宮と鎌倉光明寺から移植されたもの。

歴史にまつわる見所
・遊行寺は、鎌倉時代〜明治時代に至るまでの色々な歴史にまつまる見所があります。何となくお寺をまわっていると気がつかないスポットが沢山。知るとますます興味がわきますので、是非探してみてください。

南部茂時墓(鎌倉時代) 鎌倉幕府滅亡のとき、北条高時に殉じた奥州南部氏十代南部茂時主従の墓。
敵味方供養塔(室町時代) 1416年の上杉禅秀の乱で亡くなった者を敵味方なく、また、人だけでなく動物もあわせて供養するためにたてられた碑である。
酒井忠重逆修六地蔵(江戸時代) 酒井忠重は、江戸初期の旗本で、鶴岡城主酒井忠勝の弟。萬治三年(1660年)に建立されたという。
宇賀神社(江戸時代:現在の社は明治以降の再建) 徳川家の祖、得川有親の守り本尊といわれる。開運弁才天ともいわれ、銭洗い弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に信仰された。
江ノ島一の鳥居袴石(江戸〜明治時代) 遊行寺の寺宝を展示す宝物館の入口におかれている。かつて、遊行寺橋前が東海道と江ノ島道分岐になっており、江ノ島一の鳥居がおかれていた。その袴石である。
明治天皇御膳水井(明治時代) 明治天皇は、3たび遊行寺に宿泊されています。その際、この井戸から御膳水がくみ上げられたそうです。
明治天皇行在所碑(明治時代) 菖蒲園に面した廊下にあります。明治天皇の行在所であったこと、岩倉具視、西郷隆盛、山岡鉄舟などが供奉員として同行したことがわかります

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