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全国盆踊り


本格的な風流系盆踊りを伝える地域だけあって、安倍川流域には濃厚で味わい深い盆行事の数々が伝承されています。

ここでは有東木を中心に、安倍川流域の盆行事を紹介していきたいと思います。盆行事は八月に入ると本格的なものとなっていき、盆踊りに向けて雰囲気を次第に盛り上げていく様子は圧巻です。

(*行事日程などは「有東木の盆踊り」などを参照に新暦日程を紹介しました。歴史的な日程も随時触れています。なお、民俗行事の日程はさまざまな条件で変化していくものですので、ここで紹介する日程が現行の行事日程と異なることもあります。ご了承ください。)
お盆の時期 −「月送り盆」

安倍川流域のお盆は、いずれも新暦の「八月盆」です。いわゆる月遅れ盆ですが、この地方では「月送り」といいます。有東木においては、すでに早くからお盆は八月盆であった(「安倍川流域の民俗」)ということですから、新旧暦切り替え以後比較的早い時期に八月盆に移行を済ませていたようです。

また流域では養蚕の生業との関係でお盆の時期が柔軟にずらされる例が見られることなどからも、盆時期の新旧暦切り替えは、安倍川流域では比較的柔軟に行われたのではないでしょうか。

祇園祭 −7月14日・15日

盆踊りに関連する行事として、はじめに祇園祭を取り上げてみました。一般に祇園祭は直接お盆とは関係ない行事で、6月中に行われることが多いのですが、有東木では7月に行われます。これはお盆が8月の月送り盆に切り替わったのに連動して7月へ移行したためで、「お盆」との時間的距離を重視した結果といえるでしょう。

有東木では「祇園祭りが歌い始め」と言われ、この日からは公然と盆踊りの歌を歌ってよいことになっています。また、この地域における代表的な盆花である「トチナ」の白い花が咲き始めるのもちょうどこの頃で、お盆に向けた気分も盛り上がり始めます。

このように、祇園祭は、意識の面での「お盆」の始まりと位置づけることができそうです。

道刈り −8月7日

8月7日は、事実上有東木の「盆の入り」というべき日であり、本格的な盆行事が始まります。

この日朝7時より、老人会を中心に盆の「道刈り」が行われます。一般に"盆道つくり"などと呼ばれる行事で、ムラの共同作業によって、盆に戻ってくるお精霊さんを迎えるための道を整えるものです。


「かつて甲州との往き来が盛んだった頃は、その峠までの道を刈るなどの整備をした」

                                       (「有東木の盆踊り」)

とのことですが、近年は、墓掃除と近所の草刈程度になっているようです。

迎え火 −8月7日

盆における火の民俗の代表ともいえる「迎え火」。有東木では、その味わい深い習俗が見られます。

有東木の迎え火は、8月7日から家の門前などで焚きはじめ、12日まで続けられます。

14日の朝、変化が見られます。迎え火の場所は各家の前から墓地へと移動し、「墓参り」と同時に墓前で焚かれるのです。迎え火による精霊迎えの意味が、よりはっきりと示されています。

迎え火には、「松アカシ」といわれる松の根を束にしたものを燃やします(写真)。


迎え火(松アカシ)のあと
<04.08.15有東木>

一方、同じ大河内盆踊り圏でも、上流の梅ヶ島では松の根ではなく、杉・ヒノキが使われます(「安倍奥の民俗」)。ちなみに甲州の金山地帯でも、正月に松飾りを使わずヒノキ飾りを用いることを特徴とするところがあります。なにか関連があるのかもしれません。

七夕 −8月7日

安倍川流域では、迎え火の焚き始めと同じ8月7日に「七夕」が行われます。七夕の関連行事や伝承も少なくなく、昔から盆行事の節目の一つとして人々に大切にされてきたことがわかります。七夕=旧7月7日をもって「盆の入り」とするケースは、全国に多く見られます。

◆笹竹の飾り

七夕には、他の多くの地域と同じく、笹竹に短冊を吊るした飾りをつくって祝います。この笹竹は、後日畑にさして虫除けのまじないとなります。04年の有東木盆踊り取材行の途中、バスの車窓からたくさんの七夕飾りを見かけました。有東木の家々の庭にも、そこかしこに見られます。



有東木

<04.08.15>


安倍川沿い(バス車窓より)
<04.08.15>


安倍川沿い(バス車窓より)

<04.08.15>
「7月に行われた七夕の飾りが残っているのだろうか?」と思いましたが、実はそうではなく、安倍川流域の七夕が八月に行われていたということでした。

◆お盆と七夕の共通性

七夕は「7」という数字が行事名称になっていることもあり、新旧暦の交代とともに新暦7月7日に移行した地域が全国的に多いようです。このため、特に都市部などでは、お盆と七夕は関係のない行事と思う人も多くなりました。

しかしながら、もともと旧暦時代には七夕とお盆は同じ七月の行事であり、行事内容面から見ても水の信仰と関係するなど、かなり共通性の高い行事だったのです。このため、新暦8月7日に月遅れの七夕を行う地域もまた各地に見られます。行事名称上の問題よりも、お盆との内容上の共通性・関係性を重視したわけです。

全国の例では、有名な仙台の七夕祭りなどが、やはり同じく新暦8月に行われます。青森のねぷた(ねぶた)も、今は新暦8月に行われますが、これももともとは旧暦七月に行われた七夕関連行事です。

◆「綾踊り」と七夕

平野・有東木の盆踊りの歴史的な記録の中に、もう一つ七夕との関連を連想させるトピックスがあります。

かつて平野盆踊りでは、女踊りである「綾踊り」が特別な宗教儀礼的ポジションにありました。盆踊りの最後に、安倍川の川原まで移動して綾踊りを踊り、そのまま盆の送り出し行事に移行したのです。(ちなみに有東木盆踊りでも、古くは送り出しの際に川原まで降りていましたが、今は手前の道の辻で行われています。)

七夕は水の信仰の要素が色濃い行事であり、川での水浴びや、少女達による「盆ガマ」のような行事は川原で行われることが、全国的な傾向として指摘できます。また、かつて江戸時代には、盆踊りの前哨戦として少女たちによる「小町踊り」ないし「七夕踊り」が七夕に踊られていたことも知られています。

これらを考え合わせると、安倍川の川原で踊られる「綾踊り」と、七夕との間に何か特別な関係があったこと、さらに言えば七夕における少女たちの小町踊りが盆踊りの一部として取り込まれた可能性が想像されます。

盆花採り −8月12日

山にトチナの花を採りにいきます。いわゆる「盆花採り」の行事です。


「白い小さな花は、ちょうど米のように見えるので、盆花にふさわしいと考えられているのではなかろうか」
                                        (「有東木の盆踊り」)

とのことです。

盆棚・精霊牛つくり−8月13日

各家で盆棚をつくります。これでご先祖様や新精霊を迎える準備は万端です。
マコモで小さなすだれを編み、その上にナスとキュウリで作った牛を載せます。

牛の足はカヤの茎、尾はトウモロコシの毛をつけます。牛の背にはサワクルミの実を背負わせ、その上に乾いたままの素麺を載せ、鞍と手綱に見立てるという芸の細かさです。

これを仏壇に供え、ご飯にカヤの箸、茶を供えます。盆前には山で弁当の際にカヤの箸を使ってはならず、木の箸を使ったものだということです。以後16日の朝まで、食事ごとに家の者が食べるのと同じようなものを供えます。迎えたお精霊さんとの「共食」と考えることができます。


墓参り −8月14日

14日は、いよいよ「迎え盆」です。ご先祖様や精霊様を迎えに行きます。
朝7時ころから、家族で墓参りに行きます。「家の盆」の代表的な行事です。

盆踊りの会場でもある東雲寺の裏手には古い墓地があり、数百mはなれた見晴らしのよい場所には新墓地があります。墓参りの際は、この両方の墓地に参ることになります。墓参りの当日はまるで「縁日」のような賑わいで、参拝者の立てた線香の煙が「霞」のように見えるそうです。



東雲寺裏の旧墓地
<04.08.15>


新墓地
<04.08.15>

◆墓参りの行事

@ナスやキュウリを賽の目(サイコロ型)に小さく切り、洗米と混ぜたものを持参し、墓にまきます。これは通常「水の子」「ミンヌク」などと呼ばれるもので、沖縄諸島まで含めて日本列島各地に見られる盆習俗の一つです。無縁仏のための供物とされるケースが多く見られます。

A「トチナ」(盆花)などの花を、墓前の花活けに供えます。

そして、先に見たように
B松アカシを焚きます。これまで家で焚いていた迎え火を、墓前に移行したと考えることができます。

いよいよ迎え盆、というあらたまった気持ちにさせる行事の数々です。

施餓鬼 −8月14日

8月14日午後1時から、東雲寺で施餓鬼が開始されます。いわゆる「寺の盆」の代表的行事です。
住職による読経の途中、突然何人かが飛び出して、吊るしてある五色の施餓鬼旗をむしりとります。七夕飾りと同様、これを畑にさしておくと虫除けになるとされています。
このあと全員で境内の忠魂碑に参り、本堂に戻って住職・檀家総代・町内会長の挨拶のあと、当番が用意した「素麺」をいただきます。精霊牛にも使われていましたが、素麺は、全国の盆行事に共通する畑作物の収穫儀礼にかかわる食べ物です。

昔はどの家もぼた餅を作って持参したそうですが、これもまた畑作儀礼と関連するものです。

当時は青年たちはそれを食べながら寺に詰め、家に帰らずに盆踊りの準備にたずさわったそうです。


東雲寺では、施餓鬼・盆踊り・百万遍が行われる<04.08.15>
この後、新盆の家のうち特に「師匠」といわれる功労者の家を訪れ、庭で踊りを踊ることもあります。家族は遺影を踊りに向けて故人をしのびますが、これも各地の盆踊りで見られる光景です(参照:猟師かんこ踊り)。
なお、こうした新盆宅での供養の踊りは、一般の人の場合には見られないとのことです。

盆踊り −8月14日・15日

14日・15日の夜は、いよいよ盆踊りです。
盆踊りの構成については、別に詳しく紹介します。

送り盆 −8月16日

盆踊りの翌朝16日の早朝、送り盆の行事が行われます。迎え盆と同じく、家の盆行事です。仏壇に飾ってあった盆棚を取り外し、家族で近所の川に納めに行きます。


「今は護岸工事のため簡単に流れの所まで下りられないので、岸のへりに供え物等を並べ、火を焚き、線香をあげ、拝んで帰る。
供え物を川に流していた頃は、小ども達がクルミ・梨などの食べられるものを拾い集めていた。これを食べると長生きするという。」  
                                                                     (有東木の盆踊り)



西ン沢の護岸
<04.08.15>
近年は、環境問題にかかわる指導により、盆棚や供物を河に流すというゆかしい盆行事が各地で簡略化・省略される傾向が強くなっています。
有東木の場合、護岸工事という物理的な地形変化も行事の実施を難しくしているのですね。ただし、急傾斜地でもある有東木では、治水工事はどうしても必要な地域です。開発と民俗の共存のあり方を考えさせる例です。

青年団が主催していた頃は、この日に盆踊りの「お師匠さん」にお礼にまわったそうですが、現在では行われていません。

百万遍 −8月16日

16日午後から、東雲寺の本堂で百万遍の念仏行事があります。「寺の盆」の行事といえ、念仏信仰の代表的な行事の一つです。

行事の始まる前に、各家から「オマル」といわれるダンゴ(米の粉をまるめて蒸したもの)を持ち寄り、境内の子安観音様の前に供えます。


盆の送りの行事の後に、米のダンゴが用いられる例は全国に見られます。畑作儀礼の色が濃い盆行事の中で、米が意識的に使われるシーンです。特に味付けはされず、通常の食べ物とは異なる扱いをされています。

米のダンゴは、葬式の野辺送りの後に食べる例も広く見られます。これらは、精霊や死者を送った後に、穢れを落とし、米の霊力で参加者に力をつける民俗であると考えることができます。右の写真は、愛知県北設楽郡田峯塩津地区の例です。切子燈篭を川まで送った帰りに、参加者にダンゴが配られました。


人々が本堂に集ると、百万遍の行事が始まります。


「…住職が太鼓に合わせて大般若経を読み、そのまわりで大きな数珠をまわす。その時の掛け声は「ナーブツ、ナーブツ、ナンマイダ、ナンマイダ」という。長い数珠の中に大きな珠と中くらいの珠が各一つあり、それが自分の前に来るとおしいただく。約40分もこれが続く。」
                                          (有東木の盆踊り)

大般若経は、厄除けの効験あらたかなお経として、中世以来広く信仰を集めてきた経典です。
休憩の後、子安観音に供えられたオマルを本堂から撒きます。これを「モチマキ」とよんでおり、これで行事は終了となります。

                          * * *

6月の祇園祭をプロローグに始まった有東木の盆行事は、この百万遍をエピローグとして終了します。こうしたお盆をめぐるドラマチックな盛り上がりの頂点に盆踊りが行われていることを、あらためて注目したいと思います。

(参考文献)

「平野・有東木の盆踊り」(静岡市平野盆踊り保存会・有東木盆踊り保存会、昭和56年)
「有東木の盆踊り」(静岡市教育委員会、1995)
「安倍川流域の民俗」(静岡県立静岡高等学校郷土研究部、昭和55年)
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