夜の山寺を舞台に展開する「ほうか」のトラッドな魅力を伝えてくれます。
美しい写真の数々をお楽しみください。
供養を受けるイエと、請けるムラ。通いあうものが見えてくる (写真:加藤史人)
写真と文:
加藤 史人
「とてもトラディショナルな念仏踊りを観ることができる」と聞きつけ、はやる気持ちを抑えつつ、愛知県は新城市の一色集落へ車を走らせた。
伝統儀礼の残る土地というと、わたしは祖父の実家(近代まで葬送文化が残っていた)を連想する。到着してみると、その通りのロケーション! 山が迫り、その裾には川が流れ、それに沿う形で家々が点在している。
その中の一軒が、我々がお世話になる『民宿河合』。天真爛漫な女将のもてなしに一同和みつつ、山菜料理に舌鼓を打った。
そうしている内に、お隣の洞泉寺に着々と人々が集まってきて、何やら準備をはじめている気配だ。我々も浴衣に着替え繰り出すと、車道から境内に続く坂道では百八タイ(送り火)の準備の真っ最中であった。既に本堂には新盆を迎えた家族も勢揃いし、観客もいつの間にか集結していた。
そして夕闇が迫りだしてくる頃、”大念佛”と三度笠に記した一行が、念仏を唱えながら境内へ。円を描くように練り歩き、整列して本堂の家族、または反対の山側へも念仏を唱えていく。念仏と虫の声のみが響くその場は、伝統的な様式も相まって一気に引き締まった空気となる。
それが終わると同時に、一斉に送り火に火が点されその中を続々と踊り手達が上ってきます。送り火に映し出される踊り手の姿は、勇壮かつ幽玄。
百八タイに導かれ踊り庭へ (写真:加藤史人)
念仏衆が歌を上げはじめ、踊り手の青年4人が時に座り、時に立って激しく踊り出す。4人がそれぞれ持つ”大”、”念”、”佛”の大団扇とホロ(背負子)が激しい動きで境内を縦横無尽に舞い、太鼓が打ち鳴らされる様は古の空気そのままなのであろうと、深く感銘を受けた。
大団扇が起こす力強い風が悪霊を払うという
(写真:加藤史人)
念仏→ほうかが何回か繰り返された後には、古い手踊りが踊り手と集落の人々で披露された。
懐かしさから、見知った踊りを思い出しながら輪に加わる人々、それを何となく真似ながら加わる若い人々。こうして体感しながら次の世代に伝承していくことこそが、”教科書”のない伝統行事にとっては不可欠なんですね。
何年か後には手踊りのお囃子も是非生演奏して欲しいものである。(了)