盆踊りの歴史資料を、時系列に並べています。

 文献名著者備考期日西暦内容二次資料
盆の踊り成立前
梁塵秘抄口伝集巻第十四不明後白河法皇の選でないとされる久寿元年1154風流おどり やすらい花の初出
平家物語長門本不明13世紀中ごろ?念仏で乱拍子を舞う
一遍聖絵昌戒正安一年1299小田切・片瀬の踊り念仏の場面/現存する確かな踊り念仏資料の初出
融通念仏絵巻1414踊り念仏のシーンあり
盆の踊り成立
看聞御記続群書類従補遺2下 看聞御記下永享三年七月十五日1431伏見即成就院で盂蘭盆の風流踊り
経覚私要鈔長禄二年1458奈良のお盆 風流踊り
人夜市庭ヨリ風流来、綱鬼子切ダル所胞、(中略)有笠、同肺也、次又白雨||風流来、鎌倉殿大仏詣所肱(中略)有笠、ヲトリ念仏回、       
大乗院自社雑事記文明五年七月十七日条1473自古市風流於問跡有之。種々芸能之内古市胤栄自身成大黒者也七福神信仰辞典
春日社家大中臣師淳の神事日記続群書類従2下
明応六年記
明応六年七月十五日1497南都中近年盆のをどり(中略)不空院辻に躍堂昨日より初めてこれを建つ。
毎年盆の踊は、昼は薬師堂にて躍り、夜は不空院の辻にて躍る
政基公旅引付文亀一年1501~415 日まで毎晩、入山田四か村(船淵・菖蒲・大木・土丸村)の百姓が風流念仏を催す
実隆公記4下1505〔永正2〕~1507〔永正4〕京中盆踊流行
実隆公記永正2年7月16日1505人夜所々踊躍、言語道断也、
実隆公記永正2年7月17日1505駿河に風流踊りが流行
実隆公記永正2年7月18日1505抑京中踊躍、鐘鼓聾満足、(後略)
実際公記永正2年7月23日1505人夜有拍f物、参伏見殿-見八(後略)
言継卿記1532皮八時分迄以外風流、各くるい候f。ぺ興々々
閑吟集永正十五年1518室町小歌がまとめられている
後法成寺関白記享禄二年七月二十三日条1529筆者近衛尚通「立売衆・西大路衆フリウ(風流)」見学
大館常興日記天文九年七月十四日1540若公様へおどりを可懸御目候由
鹿苑日録天文九年七月一六日1540自細川殿風流あり
言継卿記天文十三年七月十四日1544今日京中風流
言継卿記天文二十一年七月十八日1552東山粟田口衆風流武家へ参
言継卿記天文二十二年七月十六日1553夜此邊へ自方々風流共有之
言継卿記天文二十三年七月十七日1554世上風流共有之
信長公記弘治二年七月十八日1556七 月 十八 日お どりを 御 張行赤鬼平手内膳衆,黒鬼浅井備中守衆, 餓鬼滝川左近衆 中略、上総介殿は天人の御仕立に御成り侯て、小鼓を遊ぱし、女おどりをたされ侯。津島にては堀田道空庭にて、一おどり遊ぱし、それより清洲へ御帰りなり。津島 五ヶ村の年寄どもおどりの返しを 仕り侯
中略 炎天の辛労を忘れ、有り難く、皆感涙をながし 罷帰り侯ひき。
言継卿記永禄二年七月二十日1559今夕従大覚寺殿武家御所へ風流御返有の云々
言継卿記永禄七年七月十五日1564終日自町々躍共来
言継卿記永禄八年七月十六日1565堀川近江守をとり之歌之事申来、中略 町衆五六人来稽古、拍子以下定之
言継卿記永禄十年七月十九日1567京中為風流見物也
校訂 松平記永禄十年1567駿河に風流踊りが流行
言継卿記永禄十一年 七月十九日1568町々躍見物
言継卿記元亀二年七月十六日1571近所六町衆踊有之、見物了
大友興廃記天正二年1574風流踊りの開催
言継卿記天正四年1576夜方躍有之、今夜一風流門前、見之
言継卿記天正十六年七月十九日1588躍有之間各来可見物之由有之
三好記1578十河存保勝瑞城下で風流踊りを挙行
西鶴諸国咄井原西鶴貞享二年1685巻三「行末の寶舟」より  踊りを見に行った
※ソース不明徳川宗春享保十六年1731徳川宗春、名古屋で盆踊りを1か月半奨励
山家鳥虫歌伝天中原長常南山明和九年1772諸国の盆踊他民謡を集めている
諸国盆踊唱歌柳亭種彦序文山歌鳥虫歌と同内容?
蕪村句集与謝蕪村1700年代四五人に月落ちかゝる踊かな (踊り=盆踊り 秋の季語
寛政句帖小林一茶寛政期〃後半それでこそ奉公忘れめ盆おどり
文化句帖小林一茶文化期1800初頭山かげの一軒家さへおどり哉
ひなのひとふし菅江真澄天明三年1783盆踊り唄の記載
藤沢山日鑑享保~文久お盆の薄念仏の記載あり
良寛禅師奇話 三十二段解良 栄重1800年頃盆踊りの話あり
不明良寛和尚風は清し 月はさやけし いざ共に 踊り明かさむ 老いの名残りに
不明良寛和尚君うたへわれ立ち舞はむぬばたまの 今宵の月にいねらるべしや
山田杜皐宛書簡良寛和尚もろともに おどりあかしぬ あきのよを みにいたづきの ゐるもしらずて
壬戌羇旅漫録曲亭馬琴享和2年1802京の六斎念仏、盆踊り(小町踊り)の記載
嬉遊笑覧 巻之五喜多村信節天保元1830盆踊りの関する記載あり
"Glimpses of unfamiliar Japan"ラフカディオ・ハーン明治27年1894島根の盆踊り(いさい踊り)の記載
江戸府内・絵本風俗往来菊池貫一郎明治38年1905江戸の風俗
つくだ踊りについて記載あり
明治四十丁未歳日誌石川啄木明治40年1907盆踊り参加の記録
「鳥影」石川啄木明治41年1908盆踊りシーンあり
ヰタ・セクスアリス森鴎外明治42年1909津和野踊りの記載あり
田舎教師田山花袋明治42年1909埼玉羽生市発戸の盆踊りの記載あり
踊りの今と昔柳田国男明治44年1911念仏踊り、輪踊り、ささらなどの紹介
盆踊りと祭屋台と折口信夫大正4年1915盆踊りの考察
"O Bon-Odori em Tokushima"ヴェンセスラウ・
デ・モラエス
大正5年1916阿波踊りの記録
濱の月夜柳田国男東京朝日新聞大正9年8月1920清光館宿泊と小子内の盆踊り
清光館哀史柳田国男文芸春秋大正15年9月1926清光館がなくなったことについて
盆踊りの話折口信夫昭和2年927盆踊りの考察
独房小林多喜二昭和6年1931独房でおどけて盆踊りを踊るシーン
沓掛より寺田寅彦昭和8年1933「盆踊りとあひる」
海亀岡本綺堂昭和9年1934盆踊りの記述あり
濹東綺譚永井荷風昭和12年1937東京音頭が日比谷公園で行われること、東京で盆踊りが
認められるのは初めてであることが書かれている
随筆集 盆踊り田畑修一郎?昭和14年~18年位1943地元(島根)の盆踊りの思い出を記載
郷土舞踏と盆踊小寺融吉昭和16年1941盆踊りの体系的研究
禁令通達
※ソース不明永正二年七月十八日1505幕府が盆の風流踊り禁
言継卿記天文十三年七月十四日1544幕府、京中の風流を幼少に至るまで停止、灯籠見物を禁止す。
寛永六年1629女舞・女歌舞伎の禁止(女性は舞台にあがれなくなる)
※ソース不明寛永十九年八月廿日1642風流踊りの禁止
慶安のお触れ(江戸)享保集成糸綸録慶安二年七月1649喧嘩口論さへなければ盆に踊ることは差支えない
延宝のお触れ延宝五年八月1677八月になつて踊り続けるのはいけない盆踊りの研究 小寺
貞享のお触れ貞享二年七月1685子供はよいが大人はだめ
明暦のお触書(徳島藩)明暦三年165720人の町横目が盆中の踊りを取締阿波踊り史研究 三好
寛文のお触書(徳島藩)寛文十一年1671盆踊りは7月14日から16日までの3日間に限ることなど
貞享のお触書(徳島藩)貞享二年1685見物人は整然と見物することを命じるなど
盆踊り禁止の布達(岐阜県)明治七年1873歴史でみる郡上おどり
盆踊り禁止の布達(奈良県)明治七年1873布達 第二百五十二号HP 大和文化研究会
盆踊り禁止の布達(愛媛県)愛媛県布達達書明治十年8月7日盆踊りの自粛勧告香川県史 別編Ⅱ HP「香川県立図書館 地域の本棚」
盆踊り禁止の布達(愛媛県)愛媛県布達達書明治十四年8月8日盆踊りの禁止
絵画
洛中洛外図屏風(町田本)室町後期
洛中洛外図屏風(東博模本)室町後期
洛中洛外図屏風(上杉本)室町後期
十二ヶ月風俗図(山口逢春美術館蔵)室町後期
江戸図屏風江戸初期
盆踊り図岩佐又兵衛江戸初期
龍潭寺屏風 遊戯之図伝岩佐又兵衛江戸初期屏風に盆踊りの図が描かれる龍潭寺(浜松)
盆踊り英一蝶江戸初期
盆踊り図菱川師宣江戸初期
盆踊図伝岩佐勝重
盆踊り画讃与謝蕪村18世紀後半
十二ヶ月風俗図短冊 七月盆踊り歌川広重 江戸中期1800年前後