お送り盆後の行事の中でも、興味深いのが「地蔵盆」です。
この地蔵盆、関西ではポピュラーな行事です。
“子どもの時にやったよ”という方も多いのではないでしょうか。
「盆」という名がついていて、盆月の行事ではあるのですが、どうも
お盆の行事らしくない感じがするのも、地蔵盆のおもしろいところです。
興味深い特徴と独特の体系を持つ、地蔵盆の姿に迫ってみました。
分布の偏り
地蔵盆という名の行事の全国的な分布は、中部・関西地方、特に近畿圏に集中しています。中部以東になると非常に希薄で、関東ではその存在をほとんど知られていません。全国共通に見られる「お盆」の基盤の上に、中部・関西方面だけ「地蔵盆」というカテゴリーが乗っかっている、という感じです。盆踊り歌における「小唄(全国)」と「クドキ(中部・関西のみ)」の分布のしかたと似ています。
主役・母体
お盆の主役が若い衆・青年以上のオトナたちとすれば、地蔵盆の主役は「子ども」。この点が、地蔵盆の最大の特徴です。子どもたち自身が行事を主催・運営する地域も見られます。
◆「接待」
大人が子どもたちのためにお菓子や食べ物・玩具を準備します。子どもたちを「接待する」と表現 する地域もあります。子どもたちがオトナたちに小銭をせびって街道筋を練り歩く「賽銭強要」も見 られます。関東の子どもたちの行事「道祖神祭り(塞の神祭り)」にも、子どもたちが賽銭を貰うとい うよく似た風習が残っています。
◆子どもたちの行事
有名な若狭小浜の地蔵盆では、子どもたちだけで地区にある小さな地蔵を海で洗い、思い思いに お化粧をする伝統が今も残されています。同じ若狭では、精霊舟の行事も昔は子供組だけで行わ れていました。子どもの主役性、子どもたちの盆参加という面でも、興味深いところです。同じく地 蔵盆の盛んな京都では、少子化の影響もあって子どもの参加が少ない地区も多く、盆踊りと同様 参加者の高齢化が懸念されています。
地蔵盆の母体となる単位は、地縁単位の「チョウ」「アザ」「クミ」など、いわゆるムラやマチよりも小さい身近な生活共同体範囲が多いようです。滋賀県では、いわゆる農村地帯(ムラ)よりも、古くからの街道筋などの「マチ」(=都市的な場所)に地蔵盆の濃厚な分布が見られ、地蔵盆はマチ文化的な性格も持っているようです(林英一「地蔵盆」)。
町組ごとに開催
(09.08.24 京都)
日程
8月24日(かつては旧暦7月24日)が、「地蔵盆」が最も集中する日取りです。その理由についてはさまざまな説があるようです。
①地蔵の縁日との関係
地蔵盆の信仰的ベースの一つと見なされるのが、多くの地域に見られる地蔵の信仰グループ「地蔵講」です。もともと地蔵講は毎月24日の「地蔵の縁日」に開催されることが多く、特に7月24日は「大縁日」として重視されていました。この地蔵縁日がたまたまお盆の季節に重なったため、「地蔵盆」という名称になった、という考え方です。地蔵講自体はお盆のような集落メンバーの共通行事とは異なり、年配女性や地域内の信仰者の集まりであることが多いのですが、地蔵盆の日取りに地蔵縁日が影響を与えたというのはわかりやすい考え方です。
②「二十三夜待」との関係
「二十三夜待ち」は、主に江戸時代に広く普及した「月待ち」の行事(月にことよせて夜集まって楽しむ民俗行事)の一種です。月待ちにはいろいろな日取りがありますが、特に好まれたのが月齢23日目の「二十三夜」でした。「地蔵盆」では23日に宵宮的な夜の行事・火の行事がしばしば行われますが、民俗学者・和歌森太郎は「二十三夜待ち」の影響を指摘しています。旧暦盆の「月のまつり」としての性格(お盆入門2参照)を考えあわせると、気になる説です。
地蔵盆の日程については、もう一つ興味深い指摘があります。「オトナのお盆」の中心である盆中(旧暦7月13~16日)をちょうど真ん中にはさむかたちで、7月7日の「七夕=七日盆」と、7月24日の「地蔵盆」という、「子どもたちが主役のお盆」がシンメトリーな位置関係にある、というものです。行事の主役について考える上で興味深い点です。
行事の内容・性格
地蔵堂などのお堂にこもったり、お地蔵さんの近くに「お仮屋」を設けて本体を移したりします。お地蔵さんにはカラフルなお化粧が施され、その周りで子どもたちが遊んだり、飲食するというのが、よく見られる地蔵盆の姿です。
「盆」という名前がついているわりには、あまり盆行事らしくないところも多い行事です。
お化粧されたお地蔵さん
地蔵盆は子どもたちの楽しみ
(いずれも09.08.24 京都市)
…とは言え、もちろんお盆に関わる供養の側面も見られます。
たとえば地蔵盆固有の光景の一つとなっているのが、子どもたちが輪になって坐り、大きな数珠を廻す、”百万遍”に似た数珠繰りの行事。明らかに念仏芸能と共通するものです。また、地蔵講メンバーによる「ご詠歌」(念仏合唱)や、念仏行事に多く見られる楽器「鉦」が使用される点などもあげられます。このほか、新盆の家では地蔵盆に独特の形で参加する地域も見られます。
数珠繰りに使う大珠
祭壇に添えられた鉦
お坊さんの読経
(いずれも09.08.24 京都)
このように地蔵盆は、地蔵信仰の側面、子どもたちの行事の側面、そして「お盆」の行事としての側面などをあわせ持つ、複雑な性格を持った行事のようです。
歴史と起源
この風変りな行事・地蔵盆は、いつ頃はじまったのでしょうか。
上方随筆「難波鑑」(延宝8(1680)年)には、 「けふは地蔵の御えん日にて町々の辻に、わらべども供物、燈明をかかげてまつる也」 とあり、現在の地蔵盆につながる行事が、すでに江戸時代初期に上方で成立していたようです。
また 「若狭国小湊領風俗問状答」(文化12(1815)年) 「七月廿四日地蔵祭り、辻々の石地蔵迄(中略)いろいろの供物、子供うち集まり頻りに鉦をならし南無地蔵大菩薩と唱ふ」 といった江戸後期の記事も、現在の地蔵盆の姿と基本的に変わりません。
これらの記録や現在の分布状況から見て、地蔵盆は江戸時代初期頃から近畿を中心に次第に盛んになり、やがて中部・関西方面まで普及していったと考えるのが自然です。ただし地蔵盆の起源については、道祖神信仰や愛宕信仰との関係を指摘する五来重説などもあり、なかなか簡単にはいかないようです。
お盆と盆踊り◆地蔵盆と盆踊り
地蔵盆にはかならず盆踊りを伴うわけではありませんが、関西方面を中心に、この日に盆踊りを開催する地域が多く見られるのもまた事実です。
河内音頭の本場として有名な、大阪府八尾市の常光寺の盆踊り。常光寺は通称「八尾地蔵」と呼ばれ、地蔵の霊場として知られています。盆踊りの開催日程も、やはり24日の「地蔵盆」です。
八尾常光寺の河内音頭は
地蔵盆
( 03.08.23 大阪府八尾市)
盆林英一氏の「地蔵盆」(初芝文庫)では、滋賀県下の地蔵盆の研究の中で、かつて地蔵盆に盆踊りを踊るケースが多数存在していたことを紹介しています。
氏は、「地蔵盆が盆行事だから盆踊りが行われるものとなっているのではない」としつつも、地蔵盆の行事として盆踊りが行われていた地区が多いこと、また滋賀県外でも認められることなどから、「地蔵盆に盆踊りを行うことの一つの意味があるといえるかもしれない」「本質的な行事の性質にもとづく展開ということであろうか」と分析を加えられています。
<参考文献>
藤井正雄「盂蘭盆経」講談社
鈴木棠三「日本年中行事辞典」角川書店
林 英一「地蔵盆」初芝文庫