7月15日前後の迎え盆から送り盆は、お盆のクライマックスです。
きれいに整えられた盆路を通り、迎え火を目印にして、精霊たちが家々に戻ってきます。
これを迎え、もてなし、そして無事確実に送り出すことが、お盆の目的なのです。
「迎え盆」は7月13日とする例が圧倒的に多く、また「送り盆」は15日または16日とするところが多くなっています。
迎え盆から送り盆はお盆の中核行事のため、日程や内容も全国的に共通性が高くなります。
「盆踊り」は、まさにこのお盆のクライマックスの13日~16日に行われるケースがほとんどです。
迎え火(むかえび)
7月13日の夕方には迎え火の行事が行われます。迎え火は、盆灯籠と同じように精霊たちの目印となるものです。
「迎えは早く、送りは遅く」といわれる地方が多く、あまり夜遅くならない夕方に火を焚くところが多いようです。
柳田国男「日本の祭り」によれば、日本のまつりは本来夜に行われるものでした。迎え火から、いよいよほんとうの「まつりの時間」に入るのです。
◆場所
迎え火を焚く場所は、
①家の門口や庭先
②道の辻
③墓地
などが一般的に多く見られます。
興味深い例では、大きなたいまつで山上から精霊を導いたり、新盆の家では108本のたいまつを焚いて精霊を迎える「百八炬火」(ひゃくはったい)という行事もあり、これらも迎え火の一種です。
◆素材
迎え火に焚かれる素材は、一般には「苧殻」(おがら。麻の茎を乾燥したもの)が多く、お盆シーズンになると花屋さんなどで売られ始めます。ほかに麦藁、藁、豆殻、白樺の皮などを燃やす地方もあります。
◆迎え火のパフォーマンス
「迎え火」の際に、興味深いパフォーマンスが行われます。まるでそこに本当に先祖がいるかのように声をかけたり、それぞれの家の盆棚まで案内する行為をするのです。
「大爺な、大婆な、馬こにのりて、牛(べこ)こにのりて、明るいに来たふらへ来たふらへ」 出羽国秋田領風俗問状答:江戸時代の秋田県の例
「おんぢい、おんばあ、是(これ)をあかりに、御茶飲みにおいでなして下され」 歳時習俗語彙
提灯に火をともして精霊を家まで案内し、盆棚に導きます。盆棚が家の中にある場合、家に水を用意しておき、その水で足を洗ってから家に入ってもらうというところがあります。
江戸時代の例では、先祖を背中にしょって家に入り、盆棚の前で下ろす動作をした記録もあります。
最後に盆棚に火をともし、水を供えます。火には、家まで案内してきた提灯の火を使うなどします。
精霊馬(しょうりょううま)
お盆のオブジェの代表といえば、あのナスやキュウリに足をつけてつくった牛や馬でしょう。「ご先祖様の乗り物」などといわれるこうした習俗は精霊馬といわれ、精霊の「迎え・送り」と深くかかわるものです。
北海道から中部日本の多くの地域では、精霊馬をつくるのは16日の送り盆です。供物のナスやキュウリで馬や牛をつくり、供え物とともに川や海に流します。
いっぽう関東地方では13日の迎え盆につくり、送り盆に流します。この場合、迎え盆に牛をつくり、送り盆に馬をつくる地域と、まったく逆の配当になる地域の2通りがあります。前者は、「精霊を丁寧に迎えるために牛をつくり、急いで帰ってもらうために馬をつくる」という考え方で、まだ十分に鎮魂されていない新精霊に対する恐怖感が強く出ています。いっぽう後者は「精霊を馬で早く迎え、帰りは牛でなるべくゆっくり帰ってもらう」という考え方で、盆にわざわざ遠いところから戻ってくれた先祖や精霊に対する親愛感を表しています。
精霊に対する恐れと、愛情。デリケートで豊かなお盆の感情文化がよくあらわれています。
墓参り
お盆には、お墓参りをする習慣が広く残っています。
先に触れたように、「迎え」と「送り」に墓参りをする地域は多いですが、関東地方などでは「ルスマイリ」「ルスミマイ」といって、お盆の真ん中の時期(=盆中)に墓参りをするところがあります。精霊をすでに迎えた後の、からっぽのお墓に参るのは、どういう意味があるのか不思議です。
盆礼(ぼんれい)
お盆の行事は死者に対する供養を目的としますが、生きた人の魂を供養すると考えられる行事もあります。
◆イキミタマ
盆の14日・15日には、親や仲人親、名付け親などの「親方筋」、親戚や知人など生きた人々を訪問し、贈答を行う行事があります。これを「盆礼」といいます。盆礼を「イキミタマ」(生御霊)「イキボン」「ショウボン」(生盆)と呼ぶ地域があることも、生きた魂への供養の考え方を示しています。
お盆にはたくさんの人が実家に帰省します。いまではあまり意識されなくなってはいますが、こうした帰省ラッシュの文化的背景の一つとして、盆には親や生きた人々の魂を供養するものだというイキミタマの精神が生きている、という指摘もあります。
◆盆礼と正月礼
盆礼は正月の「正月礼」と対応する行事でもあります。お正月に、親戚まわりをする家はいまでも多いですね。一般に「お正月は神事、お盆は仏事」といわれ、お盆はおめでたいこととは関係がないように思われていますが、地方によってはこの1年間に不幸のなかった家で「結構なお盆でおめでとうございます」といった挨拶を交わすところがあり、お正月との類似がみられます。
◆盆礼の贈答
盆礼には様々な贈答がなされます。いまでも盛んな「お中元」は、この盆礼の贈答に起源があります。昔の中国では1月15日を「上元」、7月15日を「中元」と呼んでいたのが名前の由来です。
贈答品の中身も注目されます。代表的な例がそうめんや小麦粉などの畑作物と、なぜか魚の「鯖(サバ)」が多いのです。
ある研究では、旧暦の4~6月は備蓄食糧が少なくなる「飢え」の季節であり、盆の供物にそうめんや小麦粉、ナス・キュウリといった畑作物が多いのは、7月に畑作の収穫が得られ、飢えの期間を無事乗り切れた「よろこび」を分かち合うものであったといいます。こうしてみるとお盆は夏場の生命力の衰えを癒すリアルな祭りであり、また死者への豊富な供物による供養も、飢えの苦しみからの連想ではなかったかと思わせます。
刺鯖や塩鮭などのナマグサモノを送るのも古い習慣で、やはり「お盆は仏事」という一般通念ができる以前の民俗を表していると考えられます。
お盆と盆踊り◆盆踊り歌と鯖
「サバ」は、盆踊り歌にも出てきます。
郡上踊り(岐阜県)の有名な踊り歌「春駒」は、「七両三分のハルコマハルコマ」という囃子言葉がよく知られていますが、昔は「サバ」という名で、「一銭五厘のヤキサバ、ヤキサバ」と歌われていました。
また「三百」という踊り歌でも、「えってんぼっかの荷なら そこに下ろすなサバくさい」といった歌詞が残っています。
海のない山里でも、鯖は身近なものであったことがわかります。