目次
概観
平安後期、盆踊りの素地になる各種なものに、風流(ふりゅう)、歌う念仏である融通念仏、庶民の踊りである田楽の流行などがあります。
「風流(ふりゅう)の発生」
・中世を通じて、庶民芸能の中心となった「風流」
・派手、人を驚かす趣向などの美学
「やすらい花」の初期記録(平安後期)
梁塵秘抄口伝集巻第十四
花笠、歌笛太鼓の記載
「ちかきころ久寿元年(1151年)三月のころ、京ちかきもの男女紫野社へふうりやうのあそびをして、歌笛たいこすりがねにて神あそびと名づけてむらがりあつまり、今様にてもなく乱舞の音にてもなく、早歌の拍子どりにもにずしてうたひはやしぬ。その音せいまことしからず。
傘のうへに風流の花をさし上、わらはのやうに童子にはんじりきせて、むねにかつこをつけ、数十人斗拍子に合せて乱舞のまねをし、悪気(原註:悪鬼とも)と号して鬼のかたちにて首にあかきあかたれをつけ、魚口の貴徳の面をかけて十二月のおにあらひとも申べきいで立にておめきさけびてくるひ、神社にけいして神前をまはる事数におよぶ。
京中きせん市女笠をきてきぬにつつまれて上達部なんど内もまいりあつまり遊覧におよびぬ。夜は松のあかりをともして皆々あそびくるひぬ。そのはやせしことばをかきつけをく。今様の為にもなるべきと書はんべるぞ。」
融通念仏(平安後期)
この時代には、やはり踊り念仏と近い念仏信仰の一つである「融通念仏」もたいへん盛んになりました。
・仏教の合唱音楽である「声明」の大家「良忍」(ろうにん)を始祖とする「融通念仏」
・「うた」「集団でうたう」という集団的パフォーマンスが注目。
田楽の流行(平安後期)
田植えに関わる祭礼起源など、謎の多い芸能「田楽」。仏教との結びつきも示唆されます。
平安時代に京都で大流行し、祇園御霊会の時期に端を発した1096年の永長の大田楽は庶民を含めて非常に大規模なものでした。
鳥獣戯画 甲巻には、蛙がびんざさらや、腰太鼓で囃し踊る姿が描かれており、平安後期にこうした踊りが広まっていたことを伺わせます。
田楽は、鎌倉室町期には演劇芸能化し、後に衰退するが、腰太鼓やびんざさらの利用、庶民の芸能という意味では、後の風流踊りや盆踊りに影響も考えられます。