目次
概観
約1世紀つづいた華やかな「踊りの時代」が転換し、天下統一長い安定の江戸時代となります。庶民の文化も芽生え、盆踊りも現代に続く形が整ってきます。
時代
江戸体制の確立
城下町の発展し、現在の村落共同体の基本形ができた時代。街道整備、流通の発展により文化交流も活発化。黎明期の武断政治から、鎖国の完成の後、文治政治に転換し、元禄文化が花開きます。
江戸開府~元禄期 (1600年~1700年ごろ)
1603年江戸開府
1614年大阪夏の陣
1637年島原の乱
1641年鎖国の完成
1651年四代家綱 武断→文治政治への転換
1688年~1704年 元禄時代
基礎情報
人口:1500万人程度
属性タイプ:貴族、僧侶、士農工商。百姓が8割以上。商工業を生業とする町人が各町にて発展。(城下町、宿場町など)
寿命: 40才程度
飢饉、災害の状況::数年に1度の凶作、50年に一度の大飢饉
伝承媒体:貴族、武士、村落支配層だけ文字利用 口承中心
領有体制:大名による領有と代官による管理
庶民の衣服:小袖の発展
庶民の食べ物:ヒエ、アワ、野菜中心
庶民住居:間取りのある茅葺き堀立式住居
庶民の娯楽/盆踊り機会:各都市で町人文化が発展。農村も年中行事が発展。いずれでも盆踊りが楽しみとして定着
宗教
1638年に幕府直轄領で「宗門改め」を実施。キリシタンの締め出し。1671年「宗門人別改帳」作成指示。「寺請制度」の確立。
盆踊り この頃の出来事
豊国祭礼
慶長九年(一六〇四)八月に行われた最後の「町衆」の風流踊り
盆踊りの統制
・江戸時代になり特に都市部の大規模な風流踊りは抑えられていく一方、江戸初期はまだ、取り締まりはゆるやかだったと想定される。御触書の流れからすると、
慶安2年「踊りはよいが喧嘩口論はだめ」
延宝5年「時節をすぎて踊らないこと」
貞享2年「子供の盆踊りは別として、町で踊り通行を妨げるので禁止」元禄3年「往来での相撲と踊りは禁止」と徐々に統制が強まっていったと考えられる。
また、江戸後期にまとめられた、江戸の地誌、武江年表の、「慶安1648年~52年」の通期記載に「この時代、七月盆中に至れば、市中の男女踊りを催し、夜々賑えり」とあり、江戸でも比較的自由に踊れた可能性がある。
地方においては、三好昭一郎の阿波踊り研究に記載のある徳島のお触れが参考になる。こちらも、規制が徐々に強まったと読み取れる
文献名 | 期日 | 西暦 | 内容 |
---|---|---|---|
西鶴諸国咄巻三「行末の寶舟」 | 貞享二年 | 1685 | 十四日から燈籠か出して、此所と替つた事は借錢乞いといふものを知らぬと申す。此の七月は我始めての盆なれば、ひとしほ馳走のために、国中の色よき娘、十四から二十五まで未だ男を持たぬをすぐりて、大踊りのこしらえ、それはそれは又あるまじきことなり |
慶安のお触れ(江戸) | 慶安二年七月 | 1649 | おとり可申候、但喧嘩口論無之様ニ.....(踊りはよいが喧嘩口論はだめ) |
延宝のお触れ | 延宝五年八月 | 1677 | 干、今おとり有之由ニ候、もはや時分も不相応の節に候間......(時節をすぎて踊らないこと) |
貞享のお触れ | 貞享二年七月 | 1685 | 頃日町方にて寄合おとり候由相聞候、子とも之盆おどりなとは格別、其外町人寄合道辻にて往還をさまたけ....(子供の盆踊りは別として、町で踊り通行を妨げるので禁止) |
元禄三年のお触れ | 元禄三年七月 | 1690 | 辻相撲辻おとり堅可停止(往来での相撲と踊りは禁止) |
明暦のお触書(徳島藩) | 明暦三年 | 1657 | 20人の町横目が盆中の踊りを取締 |
寛文のお触書(徳島藩) | 寛文十一年 | 1671 | 盆踊りは7月14日から16日までの3日間に限ることなど |
貞享のお触書(徳島藩) | 貞享二年 | 1685 | 見物人は整然と見物することを命じるなど |
風流踊りからの芸能発展
風流踊りから、阿国歌舞伎と歌舞伎、浄瑠璃などの日本を代表する伝統芸能が生まれると同時に、現代に通じる各地の盆踊りの原型ができあがった。念仏芸能から各地の伝統芸能が登場。
かぶき文化
関ヶ原合戦以降の世相を反映。異相、男装が特徴。
「小袖」の普及
この時代、日本人の服装革命。小袖の庶民への普及。派手な自己主張の服装文化も。
・他人が踊るのを見て楽しむのにつながる。
三味線
琉球の三線が流入し、三味線に改変される。江戸期に入り整備され庶民にも普及。
和楽器を代表するものとなった。盆踊りの伴奏にも使われるようになる。
この頃の盆踊り 絵画から
・難波鑑
難波の年中行事を挿し絵入りで紹介した「難波
鑑」に、盆踊りが記載されている。1680年、江戸前期の様子がわかる。輪になって手踊りする様は、今につながる。
菱川師宣:元和4年〈1618年〉 – 元禄7年〈1694年〉変化図巻
小袖での輪踊りの様子が描かれており、室町戦国の風流踊りとは明らかに様相が違う。現代の盆踊りに近い輪踊りの形となっている。(踊り時期は不詳)菱川師宣高画質画像(ボストン美術館ライセンス取得済)
英一蝶:承応元年(1652年) – 享保9年(1724年)月次風俗図屏風
会場に切子灯籠が配置されていることから、お盆の踊りと推定。中心に三味線をひく人がみえる。英一蝶高画質画像(ボストン美術館ライセンス取得済)
英一蝶:盆踊り図
エイサーのはじまり
1603年袋中上人が、琉球に渡り、福島の盆踊り(じゃんがら念仏系統)を伝えたのがはじまりと伝承されている。