目次
概観
昭和後期と同様、関東圏を中心に盆踊りは退屈な子供とお年寄りの遊戯というステレオタイプ的なイメージが継続する。一方で、阿波踊り、エイサー、河内音頭など地域初全国区の踊りが若者の心をとらえるケースも出てきた。地域の伝統盆踊りは、集落の縮小に伴い存続できない傾向が引き続く。そうした状況の中で、インターネット媒体やSNSでのつながりを起点に、新たな盆踊りの動きが登場。東日本大震災後のコミュニティやつながり見直しを経て、さらに新たな取組みが次々と出てくる。そして、現在、新型コロナウィルス感染拡大下の転換期をむかえる。
この時代
バブル経済が破綻し、経済的には停滞の時代となる。インターネットの普及、スマートフォンなどのデバイスの発展。SNSやyoutubeなど、新世代メディアが誕生、急拡大。一方で、阪神大震災、東日本大震災、集中豪雨、新型感染症などの災害にも見舞われる時代となる。
1991年 バブル崩壊
1995年 阪神大震災、地下鉄サリン事件
1997年頃 インターネット普及
2006年頃 ブログの普及
2011年 東日本大震災
スマホの出荷台数がガラケーを抜く
2012年 SNS普及率が50%超える
2020年 COVID19の感染拡大
基礎情報
人口:1.2億人程度、少子高齢化
属性タイプ:男女雇用機会均等
寿命: 80才程度
飢饉、災害の状況:阪神大震災。東日本大震災、台風被害が数年に一度
伝承媒体:インターネットの伸長、スマホの登場、録音録画はデジタルメディアに
領有体制:個人の土地保有
庶民の衣服:洋服中心、女性向け浴衣が夏の人気服に
庶民の食べ物:洋食が中心、ヘルシーフードとしての玄米、雑穀米
庶民住居:サイディング外壁の洋式住宅。少子化により個室化。
庶民の娯楽機会:多様化の拡大、和風なものが見直され、盆踊りも多様なトライアルがなされる
文化背景
和ブーム
・浴衣の販売が伸びる
・和食、和風柄などが見直される
心の時代
神秘的なものや、心の安定をもたらす機能の一部が、現代的に洗練され、心の拠り所として見直される
・スピリチュアル
・パワースポット
ネット社会
・インターネット、スマートフォンの普及でメディアが激変
盆踊り この時代
平成初期 1989~2000
昭和後期の流れをくむ
CDは、昭和後期にレコードから変わる
携帯電話やインターネットの普及は、1990年代中後半
・盆踊りは、基本子供とお年寄りのもの、ステレオタイプ的なイメージ(炭坑節や東京音頭)は継続
一部地域の盆踊りが興隆
・河内音頭、阿波踊りなどが、他地域でも展開され人気となる
・おわら風の盆は観光客殺到
・北奥羽なにゃどやら大会開始 1990
・美濃加茂でダンシングヒーロー盆踊り開始1992
・各地エイサー団体が誕生
一方で、地方の伝統系盆踊りは、音頭取りの継承ができなかったり、村の人口減少の波をうけて徐々に減っていく
平成中期2000~2010
・西馬音内盆踊りが、観光的人気を博す
インターネットによる発信が増える
2000年代前半の個人による盆踊り紹介サイト
関西盆踊り日程情報(河内音頭、江州音頭の文献紹介、日程情報提供)
kameのページ(埼玉県および関東盆踊り情報)
新野千石盆踊り(新野盆踊り紹介)
芸能の谷(三遠南信の風流芸能紹介)
線翔庵(各地に残る民謡など紹介)
※当サイト「盆踊りの世界」も2003年に開設
地域の盆踊りに対する発信が増えることにより、域外の人が、地域の盆踊りの魅力に気づいたり、地元の盆踊りを愛する人が様々な形で発信する機会ができた
一方で地域の盆踊りの減少傾向は継続
SNSによる新しい動き
2000年代半ば以降、各盆踊りをめぐるボンオドラーの活動が活発に。ブログ、SNS、youtubeを通じた発信により情報共有がはかられる。
平成後期2010~
東日本大震災の復興契機のコミュニティ見直し
盆踊りの見直しのきっかけとなる
河北新報社 やりましょう盆踊り
2012年~震災後の地域復興の支援としての、盆踊り開催サポートを実施
地元の方が再集合したり、コミュティを再生する契機に
盆踊り関連本の発売
盆おどる本
今日も盆おどり
ニッポン大音頭時代
東北復興と盆踊りに関わる映画
「羊歯明神」 遠藤ミチロウ監督
「盆唄」 中江裕司監督
ミュージシャンが盆踊りの魅力を発信
大友良英 プロジェクトFukushima
新たな試みの数々
長く子供と年寄りのものだった盆踊りが見直され、あらたな試みが多数おこる。
神田明神 アニソン盆踊り
中野駅前 洋楽にあわせた盆踊り
いずれも、DJが音頭とりの役割
野毛 JAZZ de 盆踊り
地方の伝統盆踊りを若い世代が来訪、見直しするなどの現象あり。
盆踊り博覧会
・2018年 第1回
海外の盆踊りの発展
クアラルンプールの盆踊り
インバウンドにより、海外からの観光客が増え、盆踊りが日本紹介の資源としても考えられるようになる
令和 新型コロナウイルスの感染拡大
長期にわたる感染の影響
3月より外出自粛、4月~5月は緊急事態、7月よりの感染再拡大
・企業、学校が一気にオンライン化する(WEB会議) ZOOM、TEAMS、MEETなどの利用が一気に拡大。特にZOOMはプライベートでの利用も広がる(ZOOMによるオンライン飲みなど)
→過去盆踊りが経験をしたことのない事態
・三大盆踊りの中止
・新野盆踊りが記録伝承のなかではじめての中止
オンライン盆踊り
平成後期からの盆踊りの新潮流をふまえ、ZOOMなどの一気の普及を踏まえ、オンライン盆踊りが開催される
コラム 「盆踊りの世界」この頃の活動
我々が郡上踊りを訪れ、その魅力に衝撃をうけたのが、1997年。その後、伝統系盆踊りをお盆時期を狙い来訪。2002年に、当時拡大しはじめていた個人サイトによる紹介を構想し、2003年にサイトをオープンしました。
2000年代初頭は、盆踊りのネット情報も散発的なもので、書籍情報、雑誌情報、ネット検索、専門書を経て、現地問い合わせで情報を確認していました。今では有名な、佃の盆踊りも、日も場所もわからず途方にくれたことを思いだします。
2004年、2005年には、情報を独自に収集するため、往復ハガキにより、ピックアップした盆踊りの情報を、各自治体教育委員会に確認して、独自データを整理しました。
2004年頃から、少ないながら、メディアからの取材もあり、それなりに関心の対象ではあると感じたものの、まだまだ、マイナーなものだという認識でした。その中で、2005年に地元藤沢商工会議所が、我々のサイトをみて、踊り念仏発祥の関連で、遊行寺の新しい盆踊りの企画にお声がけいただきましたが、当時、周囲に参考にできるものもなく、手探りでの対応だったことを思いだします。
2005~10年までは、あまり盆踊り関連の変化はなかったですが、盆踊りの研究をしたいという学生さんもいたり、また、ブログやYoutubeなど、盆踊りの発信も徐々に増えた印象で、ボンオドラーの方たちの活躍や、ユニークな盆踊り紹介などがちらほら見られた印象です。
この状況が大きく変わったのは、2011年の東日本大震災の後になります。コミュニティの再生、人と人とのつながりの大切さの再認識、こうしたことが契機になり、新たな取り組みが出てきました。我々と同じように、地域の伝統盆踊りに惹かれ、めぐる若い方々が、はっきりあらわれたのも、このころです。
また、我々が企画参画している遊行の盆でも、むりに動員しなくても、家族ずれや、若い人たちが楽しそうに踊るようになりました。2008年日系の盆踊りをみに、ハワイにいき、皆がいきいき、しかも、とっても上手に、照れずに音姿に驚きを覚えましたが、現在の盆踊りシーンは、その雰囲気に近づいた感じがします。盆踊りめぐりの取材、盆踊り大会の企画を並行するなかで、こうした前向きな変化を感じられたことは、私達の財産だと思っています。