◆日数問題 -1日か複数か

踊り日の「日数」に注目すると、「1日だけ」か「複数日程」か、という区別ができます。

「1日だけ」という例は、現代系の盆踊りにも伝承系の盆踊りにも見られますが、伝承系の盆踊りではむしろ複数日程のほうが広く見られるように思われます。最も古い時期の盆踊りの様子を描いた15世紀の記録でも、すでに盆踊りが複数日程で踊られていることがわかります

※例えば興福寺大乗院門跡である経覚の日記「経覚私要鈔」では、長禄2年(1458)7月16日および18日の奈良の盆踊り(風流踊)の様子が活き活きと描写されています。また、風流踊の日程は15日前後に始まりますが、後ろはえんえんと月末ころまで踊っていたりします。

複数日程の地域の日取りのパターンはいろいろですが、やはり8月13日~16日の「迎え~送り」の期間に集中・連続して踊るというところは多いようです。16日以降も地蔵盆(裏盆)などにポツポツと踊り日があり、八朔の踊り納めまで踊る(奈良県の一部など)といったケースも、しばしば見られ

小寺論文は、「第一夜は新精霊の為、第二夜以降は古い精霊の為に踊る」といった信仰が見られる地域を紹介していますが、興味深いところです。

 

◆盆踊り開催期間の長さ -二月近く踊る地域も

盆踊りの日程の複数化は、盆踊り開催期間の長さとも関係してきます。

開催期間の長い例で有名なのは、岐阜県の郡上踊りや白鳥踊りです。7月中旬の踊り始めから9月上旬の踊り納めまで、盆踊り開催期間は実に2カ月近くに及び、開催日数も30日を越えます(下図参照)。

奈良県などにも、同じような長期間開催の例が見られました。

こうした地域では、生活の中に占める盆踊りの位置がきわめて大きくなっていることが予想されます。

◆「日程長期化」の理由

じっさい驚くほどの開催期間の長さですが、これは古い要因と新しい要因が重なり合って生じた現象と考えられます。

たとえば古い文化的要素としては、郡上八幡には江戸時代から「縁日踊り」という文化がありました(下表参照)。

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これは「秋葉様の縁日」「地蔵様の縁日」といった形で、地域の寺社や小神仏などの縁日ごとに踊るというものです。こうした文化は、他の地域でもしばしば見られました。

長期化の歴史的背景については、「村の遊び日」という本が参考になります※1。同書では、お盆を含むムラの休日が江戸時代後期に急激に拡大したこと、その推進者となったのがムラの若い衆(若者たち)であったことを証明しています。

江戸時代後期、もっと踊りたい、もっと楽しみたいという若者のエネルギーが、ムラの上層部を押し切って、ムラの決め事でもあった「遊び日」「休み日」※2の拡大をもたらしたのです。こうした動きが、盆踊りの期間の拡大の要因としても働いたのではないかと考えられます。

その背景には、ムラの経済水準の向上がありました。さらに、本来厳格であったムラの「まつり」の宗教的規制にもゆるみが生じ、楽しみとしての「まつり」の側面が次第に強まっていったのも、この時代です。

※1 古川貞雄著、平凡社(1986)
※2 ちなみに「遊び日」「休み日」は、「休んでいい日」ではなく、「休まなければならない日」でした。「なまけものの節句働き」という言葉がありますが、休み日に働いた人は実際に村から懲罰を受けることもありました。

踊り日数を拡大するために、さまざまな工夫も行われました。例えば、隣り合う数ケ村の若衆が申し合わせて、盆踊りの開催日程をお互いにズラしあいます。そして、それぞれの村の盆踊り開催日には「つきあい」を理由に他村からも参加し、実際に踊る日数を拡大するとともに、それぞれの盆踊りの参加者を確保するのです※。江戸時代には、こうした盆踊りがらみのムラ同士・若い衆同士の交流(ケンカも含む)が広く見られました。

※有名な東北三大祭りも、現在はお互いに日程をズラしています。こうすることによってお客の奪い合いを免れるとともに、回遊効果などの相乗効果が生まれます。考えることは、いつの時代も同じです。

明治時代には盆踊り弾圧もありましたが、大正時代に入ると郷土文化ルネッサンスで盆踊りは広く復活・活性化し、開催日数拡大の動きも見られました。観光資源としての盆踊りのポテンシャルへの注目も見られました※。

戦後になると、盆踊りは最後の隆盛期を迎えます。地域観光振興の視点から、開催規模の拡大やスタイルの統一などとともに、開催日数も拡大しました。

※徳島県では、大正時代に文人林鼓浪の仕掛けで全国阿波踊りキャラバンが始まっています。

一方で、高度成長期以降は地方の人口減少とコミュニティの崩壊、都会では余暇や若者文化の多様化などにより、すでに水面下では盆踊りの衰退が進みつつありました。現在は、開催期間長期化の要因はほとんど見あたらず、盆踊り日程の拡大は、昭和期までで一段落したのではないかと思われます。

これまで見てきたのは、いずれも「本番」の盆踊りの開催日程ですが、本番前に稽古の期間を設ける地域がかつては多くみられました。

小寺氏の論文では、「本踊り」に対する「ナラシ」「稽古踊り」といった用語が紹介されています。振付やタイミングの取り方が難しい踊りがあったり、伝承されている曲数が多い地域では、当然ながら参加者が踊りをちゃんと踊れるような稽古期間が必要になりました。

同時に、踊りに使う大道具・小道具づくりなどの演出上の準備もこうした期間に行われたようです。若者宿などに泊まりこんで行うこうした準備は、お盆の楽しみの一つでもあったのでしょう。

稽古踊りの日程は、7月1日や7月7日などのいわゆる「盆の入り」とともに始まるところが多かったようです。藤井正雄氏は、6月中に稽古を開始する対馬厳原(いずはら)の盆踊り※の例が紹介されています。

このほか、現代ではお盆以外にも、各種民俗芸能大会や観光イベントへの参加といった形で、盆踊りはいろいろな時季に踊られるようになっています。

※「長崎県下県郡厳原町久根田舎では旧盆ですが、六月十五日を「盆踊りのスガタメ」といって、踊り組全員が勢揃いして踊りの役割をきめ、新加入者の指導をしますが、この日をもって盆入りとします」。(藤井正雄「盂蘭盆経」講談社)

昔は新野盆踊りのように、「踊り納め」の日以降は翌年まで踊ることは許されない、という地域も多かったようです。しかし、宗教民俗意識の変化やコミュニティの崩壊とともに、こうした禁忌もほとんど実効性を失っています。

踊りの開催期間の長期化は止まりましたが、踊り日程の多様化・拡散は、これからもますます進んでいくように思われます。

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