◆他界との”境界”で踊る
このように多様な「踊り場」のを眺めていると、盆踊りの場所は、一見地域性を反映してアットランダムな決め方をしたり、手頃な広場を選んでいるだけのようにも見えます。
しかしながら、これらの伝統的な踊り場(<公共空間>は該当しない)には、実は共通する性質があるのです。それは、ほとんどの場合「他界との境界空間」である、ということです。
<宗教空間>はそのまま「あの世」との境界ですが、昔は川や海などの<水辺空間>も共同体の境界でもあり、他界との接点であると考えられていました。また、見知らぬ人が多く往来するという点で、「市」や「道」も特殊な空間と考えられていたのです。
こうした場所をあえて盆踊り会場に選んだのは、「他界から盆に来る霊を迎えたり送ったりするのにふさわしい場所で踊るべきである」、という判断が働いていたためと考えることができます。
◆「屋内」で踊る盆踊り
ところで、調べてみると全国では屋内で盆踊りを踊るケースがけっこう見られます。
狭い堂内や室内で踊る屋内型の踊りは、夜空のもとで踊る屋外の踊りとはだいぶイメージ・雰囲気が変わります。盆踊りの主流はもちろん屋外ですが、実はこうした「屋内型」の盆踊りはきわめて古い歴史を持っており、盆踊りの歴史を探る上でも興味深いテーマとなっています。
屋内型は、大きく①「寺院の堂舎」「神社の社殿等」「阿弥陀堂などの仏教施設」、および「惣堂」「茶堂」のような<ムラの公的空間>のケースと、②「個人の家」で踊る<私的空間のケース>に分けて考えることができます。
前者は、現在も岐阜県(白鳥踊り、庄川盆踊り)、岡山県(大宮踊り)などが有名です。とりわけ四国4県には、屋内型の盆踊りの濃密な分布が見られます。※1※2
また、十津川盆踊り(西川地区)は、かつて堂内で踊った歴史がありますが、現在は公共空間でもある中学校の体育館内で踊っています。
十津川盆踊りは中学校で踊る
<奈良県十津川村・01.8.15>
※1 「茶堂の習俗Ⅰ・Ⅱ」(文化庁編)という研究では、おもに四国で遍路の接待などに利用された「茶堂」という古いコミュニティ施設で、盆踊り・念仏踊りなどの行事が行われたことを紹介しています。
※2 近年出版された「徳島県民俗芸能誌」(錦正堂)でも、「神踊り」という名称の古い踊りが紹介されており、村のお堂などで踊る屋内型の盆踊りの姿が報告されています。
念仏踊りも、屋内で踊られることの多い芸能です。むしろ広い空間が要求される盆踊りは次第に屋外で催されるようになり、より宗教性が強く参加者も限定される念仏踊りは屋内に残った、という仮設も考えられます。追いかけてみたいテーマの一つです。
歴史的に見ると、盆踊りの源流の一つと考えられる一遍の踊り念仏では、屋内がよく利用されています。一遍聖絵でも、踊り念仏の場面のほとんどを仮設の踊り屋形上で踊る姿として描いています。※
阿弥陀堂で踊る西浦念仏踊
<静岡県水窪町・03.8.16>
※一遍が初めて踊り念仏をしたとされる信州小田切の大井氏の館では、あまり激しく踊ったため床が抜けたという逸話が伝えられています。
また、昔の記録を見てみると、盆踊り初期の16世紀初頭南都(奈良)では毎年新薬師寺のお堂で踊っていましたが、あまり激しく踊って「堂ユルギ瓦モヲチ、御仏達ヲ御損ジアル」という状態になったため、結局専用の「躍堂」をつくって踊ることにした、ということです。
屋内型の盆踊りの歴史を示すとともに、当時の人々の盆踊りへの熱気が伝わる貴重な情報です。