阿波踊りは、日本を代表する盆踊りにふさわしく、徳島城の築城に関わる有名な起源伝承を持っています。
また、中世の「念仏踊り」「風流踊り」から、近世の「にわか」「組踊」「ぞめき」と、ひだが深くい歴史的展開を持っている点でも、たいへん魅力的です。
目次
起源伝承
三好支配地徳島 秀吉により入部した蜂須賀家 徳島城築城の伝説
「築城伝説」については、封建領主にことよせる全国的な伝説の傾向からも分析が必要。また、中世末期における巨大土木工事と芸能の関係からも、単なる伝説と片づけられないものを含んでいます。
阿波踊りの歴史
踊り念仏・念仏踊りの時代
歴史的に見た阿波踊りの踊り民俗芸能としての起源は、研究者によると、やはり「踊り念仏」が存在するのではないかと考えらています。
中世の「踊り念仏」にさかのぼりうる 阿波周辺の時衆遺跡 三好と本願寺の関係
踊り念仏が娯楽性・芸能性を強めた「念仏踊」
念仏踊りのうち特に盆の時期の踊られた「精霊踊」が、盆の時期に精霊や祖霊を迎えて踊るという現在の盆踊りの原型をつくったと考えられている。
阿波周辺に残る精霊踊り 有名な「津田の盆踊り」など
風流踊り 都市性
戦国時代 有名な「三好記」による阿波板野勝瑞城における風流踊りの催し記録 すでに阿波の地で
風流踊りは念仏踊りと親近関係を持って成立し、
街流しの伝統 風流拍子物
近世における3つの踊り伝統
こうした原型に、阿波踊りの独自性と形式を与えていったのが、近世を通じて徳島の街で盛んに踊られた3種類の踊りについて。
①基本としての「ぞめき」
②「にわか」
③「組踊り」 「町組」という社会集団が中心となる
これらの踊りが、禁止等はあったものの、 近世を通じて併存してきたことはたいへん興味深い。その他の踊り芸能や、周辺芸能との交流などもいろいろあったと考えることができる。浄瑠璃など。
近世徳島町民の経済的成長と実力拡大によるところが大きい。費用面の負担などをみても。
支配者であった徳島藩による管理、ときに強い弾圧との対抗関係が歴史をかたづくってきた。
徳島藩としても、近世を通じた財政的窮迫の中で、町民たちの力を無視できない。
藩は、古式精霊供養の踊りとしての「ぞめき」重視、他を弾圧
近世末期になると、「ぞめき」が急速に発展。三好氏によると、文化文政期
三味線の導入 今の阿波踊りの原型ができた時代と考えられている。
幕末期の動乱には「ええじゃないか」の徳島上陸 全国でみても指折りの一大流行をみた
明治期の様子はモラエスにより記録。先祖供養としての性格がまだ非常に強い点に注目される。
大正期など 阿波踊りキャラバン 現代的な都市観光イベント性も強めていく。いよいよ拡大。
戦争による中断と戦後の奇跡的成長
戦後の徳島市民にとって都市復興の象徴として機能したのが「阿波踊り」でした。
急速な立ち上がりが注目。昭和20~23ころの戦後まもなく、きわめて早い段階にすでに「連」が形成されはじめ、阿波踊りが急速に復興・拡大していったこと。戦争により荒廃した経済・産業・社会・まちを立ち直らせた精神的中核ともなったのが、まず「盆踊り」という民衆の「文化」から始まったことは、盆踊りや民俗文化の大きな歴史的役割を示唆して余りある出来事。そして、現在なお「阿波踊り」という文化が、徳島にとって、また日本にとってはかりしれないほどの巨大な財産となって、活力を供給し続け、文化的発信をし続けていること。思い合わすべき。
現代
観光イベント化 演舞場中心主義から、参加型へ。
日本各地、世界への展開 その魅力に見せられた人たちが各地へ誘致し、日本中で30カ所?以上の地方版阿波踊りを持つ。
「ええじゃないか」と阿波踊り
阿波は、山城と並んで「ええじゃないか」の発祥の地の一つという説もある。
「ええじゃないか」は、「踊り要素が強い」(「お・ええじゃないか」)。